大好きな人


 ……何を考えてるんだ、僕は。

 フェイトに待つよう言われてから、どれだけ時間が経ったのだろう。
 唯その場に立ち尽くして、空を見上げている。
 雲一つない、綺麗な青空だった。

 久々に浴びる太陽の光も、今は眩しくて邪魔なだけ。
 穏やかな日差しすら邪険に感じる心に、かつて消し去ったはずの感情が湧き上がってくる。

 彼女への想いは、この手で握り潰した筈だ。
 もう僕は、彼女の隣にいる事なんて許されない。許して貰おうとも思わないが。
 八年前のあの日から。……いや、フェイトこそ彼女の隣にいるべきだと悟ってからか。
 少なくとも、自分の中では既に解決したのだと決めつけていたのに。

 いつも笑顔で、太陽の如き明るさと、今僕の見上げた先にある、透き通った紺碧の青空のように穢れの無い。
 そんな彼女を絶望の淵に叩き落して、何もしてやれなかった自分が、どうしてまた彼女を見て戸惑う。
 戸惑う必要なんて無い。そう、無いんだ。絶対に……ある筈が無い。
 今はもう、彼女は「大切な友人」だ。それ以上でもそれ以下でも無い。

 彼女が幸せになってくれるなら、この手をどれだけ穢したって構わない。
 でもそれは、彼女の傍にいたいからじゃない。
 これは唯の自己満足だ。勝手に彼女を支えていると思い込みたいだけ。

 それで良かった。それだけで……良かった筈なのに……。

「……ッ!」

 腹が立つ、無性に。
 握り締めた拳に、放置して無駄に伸びた爪が、喰い込んだ。



 木の影に隠れたなのはは、己の情けなさを痛感して唇を噛み締める。
 あと少し、すぐそこに彼がいるというのに、足が竦んで動かない。
 フェイトにも、レイジングハートにも大丈夫だと言い張った矢先がこれ。
 どうしようもない程に情けなくて臆病で、自分が嫌になる。

 今、彼女の傍には誰もいない。
 いつも共にある相棒も、二人きりになれるよう気を遣ってくれて、今はいない。

(お願い……動いて……! 動いてよ……!)

 震える足を必死に動かそうとするが、全く言う事を聞いてくれない。
 自分の足では無いみたいだった。

(私は……伝えなきゃいけないの……!)

 ティアナとの話を終えて、急いで彼の元に駆けつけようとした時。
 レイジングハートが教えてくれた、二つ目の、彼の事。

 レイジングハートがクロノから聞き出した、彼の本心。

 彼は今でも、なのはが重傷を負った原因は、全て彼にあると思い込んでいて。
 彼はなのはに何もできなかったと心を閉ざし、なのはだけが幸せであればいいと考えている。
 そしてその為なら、例えどんなに無茶をしようが、無理をしようが。
 どれだけ自身が傷ついても、それは気にする価値すら無いと決めつけている。

 胸が締め付けられるような錯覚に陥り、両手でそれを抑える。

 彼がそこまで思い詰めて、今まで苦しみ続けていたなんて。
 どうして気付いてあげられなかったのかと、なのはは自分を責め続けていた。
 彼に会うと、なのはに気づいた彼は、いつも笑顔で迎えてくれた。
 でもその笑顔からは、常に悲しみの色が宿っていた事に、気づいていた筈なのに。
 フェイトが、レイジングハートが励ましてくれたのに、それでも一歩が踏み出せない。
 後悔と自責の念が、なのはを縛り付けていた。

(ユーノ君は……悪くなんかないのに……)

 彼と出逢っていなかったら、ずっと海鳴の地で、何事もない平和な日々を送っていたかもしれない。
 あの事故も起きず、辛いリハビリ生活を送る事もなかっただろう。

 でももし、もしそうだとしたら。
 フェイトちゃん、はやてちゃん、クロノ君、リンディさん、エイミィさん、アルフさん。
 ヴィータちゃん、シグナムさん、シャマルさん、ザフィーラさん、リイン、リインフォースさん――。
 他にも数え切れない程の人々と、出逢う事なんてできなかった。

 それ以前に、ジュエルシードの力で発生した次元断層に、訳も分からず巻き込まれて死んでいたかもしれない。

 そして何より、彼と出逢う事が無かった。

 彼と出逢う事が出来て、なのはは本当に幸せだった。
 彼のおかげで、こんなに多くの素敵な出逢いがあったのだから。

 辛い事も沢山あったけど、それを乗り越える事が出来たのも、いつも彼が傍に居てくれたから。

(ユーノ君……毎日毎日……逢いに来てくれたよね)

 あの事故以来、無限書庫の激務があるにも関わらず、ユーノは本当に毎日、なのはに逢いに来てくれた。
 その時点で、相当無理をしていただろう。
 見るからに疲れているのに、彼がなのはに宛がわれた病室を訪れない日は一日としてなかった。
 なのはにとって、それは本当に救いだった。
 このままでは二度と立つ事すらできなくなると言われて、不安と孤独に押し潰されそうになっても。
 彼が逢いに来てくれるから大丈夫だと、辛いリハビリにも耐える事が出来た。

 今動いてくれない足も、彼が逢いに来てくれていなかったら、本当に動かないままだったと思えてくる。

 大袈裟かもしれない。飛躍し過ぎているかもしれない。
 それでも、なのはの『今』を与えてくれたのは。
 こんなにも幸せだと感じる毎日を与えてくれたのは。

 ユーノ・スクライア――彼しかいなかった。

(このままじゃ……だめだよね? ユーノ君……)

 目を閉じて、深呼吸。
 暗闇に浮かぶのは、彼の姿。
 いつもなのはを支えてくれた、彼の優しい笑顔。
 なのはに大空へと羽ばたく力を託してくれた――運命の人。

 目を開いて、空を見上げる。
 透き通った、本当に綺麗な、紺碧の青空。

(もう逃げないって……決めたんだから……!)

 その瞳に光を宿し、震える足を抑え込んで、なのはは駆け出した。



「ユーノ君!」
「なのは……」

 聞き慣れた声が聞こえて、ユーノは振り向く。
 少し戸惑っているような、そんな笑顔で駆けてくるなのはを、ユーノはぼんやりと見つめる。

「ごめんね、待たせちゃって……」
「全然。気にしないで」

 揺れ動く心を悟られないように、ユーノは平静を保とうとする。
 が、いつもなら自然と浮かべられる筈の笑みも、今では随分とぎこちない。

「こうやって会うのも、久し振りだね」
「……一ヵ月振り、かな」
「そうだね……」
「……うん」

 何か言わないと。ユーノは焦る。
 このままでは、なのはに余計な気を遣わせてしまう。
 それだけは避けたかった。後ろから見守るしかできない自分が、最前線で戦う者に負担を掛けるなど、あってはならない。

「レイジングハートは?」

 思いついたのは、たかがこんな事くらい。
 相変わらず不器用で、気の利いた言葉もかけられない。

「今はフェイトちゃんと一緒だよ」
「そう」
「ね、ユーノ君。あそこの木の下に座ろ?」
「そうだね……」

 なのはが指差した先には、自然に溢れるこの辺りでも一際目を惹く大木が、悠然と立っていた。


「今日は、偶然なのかな?」

 大木が巡らす大きな根に腰掛けたなのはが、その隣に座った僕に尋ねる。

「……アコース査察官は、今回のオークションに機動六課が派遣されて来るって事は、ご存知だったみたいだけど」
「そうなんだ」

 また沈黙が流れる。
 柔らか風が木々の木の葉を揺らし、僅かばかりの音色を奏でる。
 小鳥達の気持ち良さそうな囀りと、所々に咲く花々の香りが辺りに漂っていた。

 静かだな……。少しだけど、久々に心が安らぐのを僕は感じていた。
 なのはを横目で見ると、何か考え込んでいるのか俯いている。
 その頬は僅かに赤みを帯びていたが、見なかった事にした。
 ……また、握り潰したと思っていた感情が蘇りそうで、怖かったから。


 どれくらいそうしていただろうか。
 ただじっと、温かい光と心地良い風に身を任せている。
 先程まではどちらも邪険に感じていたのに、今では随分と心地が良い。
 睡眠をここ三日はとっていなかった為か、急激に襲い来る睡魔と闘いながら、言葉を探す。

「……なのは」
「え……?」

 不意に口をついた言葉に、自分でも驚いた。
 頭がはっきりしない。意識が遠のいていくような、そんな錯覚を覚えた。
 なのはは急に名を呼ばれて驚いたのか、体を少し震わせて僕を見ている。

「なのはは……僕と出逢った事を……」

 そこまで言って、僕は続きを言えなかった。
 急に頭が真っ白になり、視界がぼやける。
 体に平衡感覚がなくなり、バランスを支えていた神経が途切れ、意識が飛んだ。


「ユ、ユーノ君!?」

 それまでどう切り出していいかわからず、ただ俯いていた私は驚いた。
 不意に名前を呼ばれて、続きを言おうとした彼が私に倒れ込んだから。
 慌てて受け止めると、彼は目を閉じてぐったりとしていた。

「ユーノ君! しっかりして!」

 パニックに陥りそうになったが、なんとか冷静さを保って彼を柔らかな土の上に寝かせる。
 脈に異常はない。呼吸もそれなりに安定している。
 恐らく、溜まった疲労がここにきて一気に爆発したのだろう。
 多少なら応急処置の心得があるなのはは、彼が疲労で眠ってしまったと、冷静に判断できた。

 安堵の息を漏らして、私は彼の顔を見つめた。
 彼が言い掛けた事。
 それは多分、私が彼と出逢って、後悔をしていないか、という事だろう。

「……そんな事、ある訳ないよ……」

 そう呟いて、私は零れ落ちそうになる涙を必死で堪えた。
 そんな事、ある筈がない。彼のおかげで、今の私がいる。
 無限とすら思える程に存在する、数多の世界と人々の中。
 そんな中で、彼と巡り逢う事が出来たのは、奇跡なのだから。


 大きな木の木陰で、眠ってしまった彼の頭を、私は自分の膝の上にそっと乗せた。

 彼の綺麗な髪を優しく撫でる。
 それは、傍から見れば美しいのだが、触れてみれば酷く傷んでいて。

 その髪のように、今、なのはの膝の上で眠り続ける青年は、なんだか儚くて。
 少し力を込めて触れれば、脆いガラスケースのように、砕けてしまいそうで。

 だからこそ、守りたい。
 自身を犠牲にしてまで、高町なのはの幸せを願ってくれる、優しすぎる彼を。

 そして、また彼に背中を預けて守って欲しいと願うのは、身勝手なのだろうか。

 彼はどうありたいと願うのだろう。
 身も心も、こんなに疲れ果てているのに、私だけが幸せであればいいと願うのだろうか。

「……そんなの、勝手だよ……」

 私に、彼が勝手だと言う資格なんてないのだろうけど、でも、それでも――

 どうして、こんなにも優しいなのか。
 どうして、こんなにも苦しまなければならないのか。
 どうして、こんなにも自身を大切にしてくれないのか。
 どうして、こんなにもこの青年を……愛しいと想うのか。

 彼は、かつての相棒に言われた事を忘れてしまったのだろうか。


 ――自らを大切に想えない者が、他人を大切に想える筈がないでしょう


 彼が傷つく度、無茶をする度、疲労で倒れる度に、胸が引き裂かれるような思いになるというのに。

「本当に……勝手だよ……」

 彼の陶器のような美しい肌に、必死で堪えていた雫が、堰を切って零れ落ちていく。

「私は……そんなに頼りないのかな……」

 彼の心も――彼の想いも――

「私にも……背負わせて……」

 辛い事も――悲しい事も――

「一人で抱え込んじゃ……だめだよ……」

 分け合いたい。

「私はもう……ユーノ君に傷ついて欲しくないよ……」

 だって――

「私は……ユーノ君の事が……」

 世界で一番――

「好きで好きで……どうしようもないの……」

 でも今は……まだ伝えられない。
 やらなければならない事が、私にも、彼にもあるから。

「……」

 だけどせめて――

「……これくらいは……許されるよね……?」

 こんなにも愛しくて、どうしようもないのだから。


 彼の顔がゆっくりと大きくなって、私の視界一杯になって。
 真っ赤な頬と、真っ白な頬。
 唇と唇が、もう少しで触れ合う。

「ん……」

 ビクッと、私は屈めていた体を起こす。
 彼が小さく呻いたから。
 唇に触れる事すら、彼は許してくれないのだろうか。
 絶望に打ち拉がれそうになった時、

「なの……は……」

 心臓が飛び出しそうになる。
 少し身動ぎして、寝言を言った彼。
 彼の見ている夢に、私がいる。
 彼の心からはまだ、私は消えていない。

「ユーノ君の……バカ……」

 そう呟き、今度は一気に顔を近づけて。
 一瞬、ほんの一瞬だけ、唇を触れさせた。


「好きだよ、ユーノ君」

 穏やかな太陽の日差しが、木の葉の隙間から二人を優しく照らす。

「私の……大好きな人」


 この時が、ずっと続けばいいのに。

 彼の傍で幸せを感じられる、この時が。


 今は少し、心が離れているけれど。

 いつかきっと、彼と一緒に心から笑って、始まりの場所へ帰ろう。

 私が彼と出会って、短い間だったけれど一緒に過ごした、美しい海と山に囲まれた、あの場所へ。



「ユーノ君。私、もう無理はしないよ」

 彼の髪を、慈しむように撫でながら。

「だから、ユーノ君も……無理はしないでね」

 彼を優しく見守りながら。

「私の前から……いなくなったら……だめだからね……」

 消えてしまいそうな彼の事を、精一杯想いながら。



 温かな光が、二人を包み込む。

 大切な人と、大好きな人。

 同じようで、違う言葉。

 簡単なようで、難しい言葉。

 でも、それはきっと、些細な事で。

 彼が、彼女への想いに気づくまで。

 彼女が、彼へ想いを告げるまで。

 その時は、もうすぐそこまで訪れている筈だから。

 今はただ、疲れ果てた心と体を、癒してあげたい。



 日が暮れるまで、二人は体を寄せ合って。

 穏やかな表情で、眠り続けていた。




End




まずはごめんなさい。
これじゃあ補完っていうより普通の二次創作です。

この中でのなのはは、一回決心したのに戸惑ってます。
でも、なのはだって完璧人間じゃないと僕は思うんです。
葛藤というか……優柔不断といか……。
結構後手後手になってるなのはですが、こういうなのはもありかなと。

んで、問題がユーノ。
書いといてなんですが、このユーノ鬱過ぎる。
殻に閉じ籠って、しかもかなり身勝手なユーノになってますね……う〜む。

それと、3話をこの話の外伝っぽくしてればよかったなと。
先にこの話を書き上げて、最後に2.5話っぽくUPした方がしっくりきたっぽくて反省中。

もっと最初からプロットやら構成やらを練って書かないとだめだなぁと、痛感させられた小説となりました。
時間があれば書き直したいな〜……。でも、当分はないだろうなぁ……。

なにはともあれ、少しでも読者様の息抜きとなっていれば良いなと、願っています。


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