大切な人


 ホテル・アグスタ内大ホール。
 その三階から眼下を見渡す、美しいドレスを身に纏った女性。
 とはいえ、その美貌はドレスを着て色褪せる事なく、更に際立って見える。
 長い栗色の艶やかな髪を、微量の魔力が込められた緑のリボンで結んでいる。

 高町なのは

 本局武装隊航空戦技教導隊第五班所属一等空尉。
 現在は、古代遺物管理部機動六課に出向中、スターズ分隊隊長兼戦技教導官。
 ミッドチルダ式・空戦S+ランク保有の砲撃魔導師で、彼女の評価は非常に高い。
 『不屈のエースオブエース』と呼ばれ、周囲からは尊敬と、畏怖の含まれた眼差しで見られている。

(……ロストロギアがオークションに……)

 なのはが内心呟く。
 正直、複雑なところだ。
 彼女が魔法と出逢ったきっかけもロストロギア。
 その僅か半年後に起きた事件も、ロストロギアが中心だった。

 立て続けに第一級捜索指定クラスのロストロギアと接した者としては、危険度が0に等しいと言われても、あまり実感が沸かない。
 まあ、僅か一年の間に二つも次元震レベルの脅威に遭う事自体、稀であるのだが。

 そして、ロストロギアから紡がれるのは、なのはにきっかけを与えてくれた、彼の事。

 今頃彼はどうしているのだろうか?
 大方書庫で多忙な時を過しているに違いない。
 それ故に、ここ一ヶ月は会えていない為か、余計に心配になる。
 ちゃんと栄養のある物を食べているか、十分な睡眠をとっているか、……また無理をしていないか。

 脳と精神に相当な負担がかかる読書魔法、それに検索魔法まで併用して、同時に資料としてまとめる。
 たまに会いに行けば、今にも倒れそうな表情をしているのに、黙々と仕事を続ける彼。

 そんな彼の姿を見ると、死んでしまうんじゃないかとさえ思ってしまう。

 以前と比べれば、司書の数はかなり増やされたし、殆ど物置だった無限書庫もそれなりに整理はされている。
 しかし、無限書庫に来る依頼の数は減るどころか増える一方で、今では管理局以外からも依頼が来るらしい。
 その為に、彼がこなさなければならない仕事量は然程変わっていない。

 クロノやリンディ、レティ達は、何度も何度も無限書庫の勤務体制に対して上層部に抗議してくれている。
 もちろん、なのはも。かけあった回数は、もう数え切れない程だ。
 だが、既に無限書庫は管理局にとって無くてはならない重要な情報機関。
 今無限書庫が機能しなくなると、管理局全体の動きに多大な影響がでるだろう。
 だから、管理局一のオーバーワークとさえ言われる無限書庫の勤務体制は変えられないのだ。

 唯、無限書庫の勤務体制が変わらない一番の原因は、司書長である彼にあるのかもしれない。

 どれだけ多くの依頼が来ようと、それが人助けになるならばと、嫌な顔一つ見せず全ての依頼を受ける。
 その分、司書達の仕事量も増えはするのだが、彼は司書一人一人の能力に合った仕事量を定め、
 それが越えるようならば、その分を全て自身が受け持つのだという。
 そして、そんな勤務体制にも、何一つ抗議の声をあげない。

 そんな状況に司書達も幾度となく、なのはやクロノ達に負けないくらい上層部にかけあっているらしい。


 彼は自身の事をなんとも思っていないのだろうか?

 いつもいつも一番は他人で、自身は二の次ですらない。
 はっきり言って、度が過ぎているなんてレベルの話ではない。


「なのはちゃん?」

 不意に声をかけられて、少しビクッと体を震わせる。

「はやてちゃん……」

 振り向けば、そこには六課の部隊長でなのはの上司、そしてかけがえのない親友が深い溜息を吐いていた。

「……ユーノ君の事?」

 直球だった。

「……ごめん、任務中に……」

 なのはは素直に謝る。
 今は戦闘の必要がないとはいえ、任務中だ。
 不審者や不審物がないか、しっかり見て回らなければならないし、何か起きた時にはすぐに対応しなければならない。
 何よりなのはは人の上に立つ者だ。それがしっかりしていなければ、彼女の部下達にも示しがつかない。

「いや、好きな人を想うなとは言わへんで」
「……」

 はやての言葉に、なのはは申し訳なさと恥ずかしさで俯く。

「……あんな、ちょっと前、ユーノ君に会ったんや」
「えっ?」

 俯いていたなのはは、はやての口から紡がれた言葉に驚いてはやてを見る。

「ユーノ君、時間がある言うから無限書庫行ってみたら、フワフワ浮いて寝てたわ。
 司書の人に聞いたら、もう丸三日徹夜してて、動かそうとしたら起きてまた仕事しだすからそのままにしてるんやて」
「……ユーノ君、また無理してたんだ……」

 はやてが教えてくれた彼の近況に、なのはの表情は一気に暗くなる。
 それと同時に、何故はやてが彼に会ったのかが気になった。

「はやてちゃん、どうしてユーノ君に……」
「一発ガツンと言うたらなアカンって思ったからな」

 なのはは、はやてが拳を握り締めて腕を振る仕草を見て目を点にした。
 だが、はやてがふざけて言っている訳では無いのはすぐにわかった。
 はやての目には、怒りと悲しみの色がはっきりと見て取れたから。

「ほんまに無茶ばっかりしてるって噂をずっと聞いてたから。
 なのはちゃんも辛そうな顔してる事が多なったから、我慢できへんかったんや」

 なのはにも、彼が無茶をしているという噂を耳にする事はあったが、そんなに頻繁ではない。
 恐らく、はやてやフェイトが気を遣ってくれているのだろう。
 唯、はやては六課の部隊長で、彼も六課の立ち上げに尽力してくれた内の一人だ。
 自然と情報が入ってくるのだろう。

「それでな、私はもうその日は仕事もなかったから、ユーノ君の残りの仕事をやったんやけど……ほんまにきつかった。
 ユーノ君、毎日あれの倍以上やってる思たら、ゾッとした」
「……」
「丁度私が全部終わらした時にユーノ君が起きて、その時何て言うた思う?」


 ――はやて、君は六課の部隊長で忙しいんだから、こんな事しなくていいんだよ


「……ごめん、なのはちゃん」
「え?」

 急にはやてが謝ったので、なのはははやてを見る。

「それ聞いたらほんまに腹立って、一発殴ってしもた」
「……はやてちゃん」

 彼を殴ったからといって、はやてを責める気など無かった。
 そう言ったはやての拳は、先程とは比べ物にならない程握り締められていて。
 その気持ちは……、痛い程わかるから。

「なんでユーノ君は、あそこまで自分を大事にできんのやろか……」
「……それは……」

 なのはは何も言えなかった。
 そして、何も言えない自分が悔しかった。

「……ごめん、今のはきつかったやんな……」
「うぅん、そんな事ないよ。……ありがと、はやてちゃん」

 それからはやては口を閉じてしまった。
 多分、言わないでおこうと思っていた言葉を、つい言ってしまった事に罪悪感を覚えているのだろう。
 だが、それよりも大きいのは、彼があんな風になってしまった原因を知っているから。

 その原因の一つは、間違いなくなのはにあった。
 なのはは、闇の書事件が終わってからも、ずっと無理を続けてきた。
 その無理が祟って、八年前の事故――あれは自業自得だとなのはは考えているが――が起きてしまった。

「……あかん、水飲んでくるな」
「うん……」

 そう言うと、相当思い悩んでいるのか、はやては大ホールを後にした。
 はやてがそこまで気に懸けてくれるのはありがたかったが、同時に申し訳ない気持ちにも駆られた。


 結局のところ、なのはは彼に強く言う事ができないでいたのだった。
 彼には無理をして欲しくないが、なのは自身も無理をして、言葉では言い表せない程、心配をかけてしまった。
 そして、彼はなのはが大怪我を負ったのは自身の所為だと、完全に思い込んでしまった。
 その負い目があってか、久々に会って、彼に無理をしないでと伝えても、


 ――僕がここで仕事をすれば、命を救う人達の手助けができる。だから、休んでなんかいられないよ


 その想いは、かつての自分と重なって。
 そう言う彼の目は、悲痛と後悔に満たされていて。
 暗い感情に満たされた目でも、決意が秘められた彼の目を見ると、何も言えなくて。
 同じ過ちを犯して欲しくないと願うのに、弱腰になってしまう。

(もう……どうしようもないのかな……)

 彼だけが悪いのではない。
 だから、無理をして欲しくないのに。
 けどそれは、なのはの想いは、凄く身勝手なように思えて。


《マスター》
「……レイジングハート?」

 なのはが思い詰めていると、普段自分から話しかける事など殆どない無い、なのはの相棒。
 彼がなのはにくれた、『不屈の心』という名を冠した、真紅の宝玉。
 レイジングハート・エクセリオンが、不意に呼びかけてきた。

《あなたが、いえ、あなた以外の誰が、マスターユーノを救うというのですか?》

 レイジングハートは、なのはの心を見透かしたかのように問いかける。
 その言葉には、機械とは思えない程の感情が込められていた。

《マスターユーノを救えるのは、マスターなのは、あなたしかいません》

 その感情には、先程のはやてと同じように、怒りと悲しみが含まれていて。

「……そうなのかな」
《あなたでなければ不可能でしょう》

 そして、レイジングハートの言葉には、確信のようなものが入り混じっていた。

「……」
《……私では、マスターユーノを救えませんでした》
「えっ?」

 今日何度目かの驚きの声を上げたなのはは、今は赤い宝石の姿をしている愛杖を見る。

《以前、メンテナンスと偽って、マスターユーノに会ってきたのです》
「そう……だったんだ」

 はやてに続いて、レイジングハートまで。
 この分では、フェイトもクロノもリンディも、彼と会っているのだろう。

《マスターユーノを見捨てた私が、言える事ではありませんでした》
「見捨てた……?」
《あの日。マスターなのは、あなたと出会い、私の力の全てを引き出してくれた事が嬉しくて……。
 実にあっさりと、私はマスターユーノとの契りを断ちました》
「……それは、仕方のない事だったでしょ?」

 そう、仕方がなかったのだ。
 あの時、彼の言う通りにしていなければ、レイジングハートを起動させていなかったら、
 あそこで死んでいたかもしれないから。

《……私はそれまでずっと、マスターユーノと共にありました。
 マスターユーノは昔から無理ばかりして、危なっかしくて……。まだ年端もいかない、幼い子どもなのにです》

 そう言うレイジングハートは、過去を懐かしむようで。
 彼を心から大切に想う、母親か、姉のように見えた。

《そしてそれは、十数年が経った今でも変わりません。だからこそ私も、八神はやてと同じく、我慢できなくなったのでしょう》
「レイジングハート……」
《でも、彼は心を閉ざしていました》
「心を……?」
《そうです、マスターなのは。言わずともその理由は、あなたならわかっているでしょう。
 無論、私はあなたを護れませんでした。あなただけが悪いと、そんな無粋な事を言っている訳ではありません》
「……」

 相棒の心が、なのはの心に沁み渡っていく。
 レイジングハート、彼女は心からなのはと、そして彼の事を想ってくれている。
 なのはは目から溢れそうな涙を必死で堪えた。
 レイジングハートがここまで大切に想ってくれているのが、嬉しくてどうしようもなかったから。

 そして、レイジングハートが教えてくれた、彼の事。
 彼が心を閉ざす理由は、一つしかない。

《……マスターなのは、マスターユーノの心を救えるのは、あなただけなのです。どうか、諦める事の無いように》
「ありがとう、レイジングハート……」
《いえ、お気になさらず》

 先程まで悩んでいた自分が、馬鹿みたいだ。
 はやて、フェイト、クロノ、リンディ……そして、レイジングハート。
 挙げればきりが無い程の人々が、なのはと彼の事を想って、心配してくれている。
 なら、迷ってなんかいられない。

 八年間という、言ってしまえば短いけれど、人の一生にとっては、長い時間。
 その長い時の中を、仕事が忙しいと言い訳をして、なのはは彼から逃げていたのだろう。
 彼がもう、なのはの手の届かない所へ行ってしまいそうな、恐怖があったから。

 でももう、逃げたりはしない。 真っ直ぐに向き合う。
 人は変わっていく、変わっていかなければならない。
 十年前、光となって冬の空へと消えて行った、祝福の風の名を冠した彼女に、投げ掛けた言葉を思い起こしつつ。
 向き合った結果が、彼に自らの全てを拒絶されたとしても……逃げない。


《マスター》
「どうしたの?」
《一つだけ、マスターユーノの心に届いたかもしれない言葉がありました》
「ユーノ君の、心に……?」
《その言葉は、あなたにも共通するものがあると思います》
「聞かせて、レイジングハート」

 なのはの声に、迷いはない

《はい、それは――》

 それを悟ったかのように、レイジングハートは穏やかな声で、一言ずつ、丁寧に語っていった。



 彼の守ってくれる背中は、いつも温かかった。

 彼の言葉一つで、どれだけ辛い困難にでも、立ち向かう事が出来た。

 彼のいなくなってしまった部屋に一人でいる事が、無性に寂しくて、辛かった。

 このままでは立つ事すら出来なくなると言われ、地獄の底に叩き落されたような錯覚に陥り。

 底知れぬ不安と恐怖に襲われた時、フェイトにもはやてにもアリサにもすずかにも、家族にすら大丈夫だと、無理に強がったのに。

 彼と会って、まだ必死に強がるなのはを抱き締めてくれた彼には、隠し切れなくて。

 ただ泣きじゃくって、怖いと打ち明けれた事が、嬉しかった。

 彼は悪くないのに、なのはに謝って、それでもなのはが泣き止むまで、ずっと抱き締めてくれた。

 そんな彼の腕の中は、驚く程温かくて、優しくて、なのはの心に安らぎを与えてくれた。



 自惚れでもいい、彼を救えるのが高町なのはだけなら、絶対に救ってみせる。

 なぜなら彼は、高町なのはにとって、世界で一番、大切な人なのだから。


 そして――




To be continued...




あとがきらしきもの

う〜む……かなり四苦八苦しました……。
難しいですね、なのはとユーノの関係。
フェイトも出すべきなのだろうと思いましたが、むぅ、すいません。
八年間も、よくこの話におけるユーノは耐えたなと、書いてから思ったり。
でも、二人は誰かの後押しがなければ進めないんじゃないかな、と思うんですよね。
なのはが朴念仁なのは今更ですが、十年も書庫に籠って、思春期を迎えてるかどうか微妙なユーノも朴念仁というかなんというか。
まぁそう思うんですよ、あまり取り上げられないけど、ユーノってかなり厳しい環境下にいますしね。
では、少しでも楽しんでいただければ幸いです。


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